『おくのほそ道』

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【原文】

それより野田の玉川 沖の石を尋(たづ)ぬ 末(すゑ)の松山(まつやま)は寺造を(つくり)て末松山(まつしようざん)といふ 
松のあひあい皆墓はらにて はねをかはし枝をつらぬる契(ちぎり)の末も終(つひに)はかくのごときと 悲しさも 増(まさ)さりて塩がまの浦に入相(いりあひ)のかねを聞(きく)五月雨(さみだれ)空聊(いささか)はれて 夕月夜幽(ゆふづくよかすか)に籬(まがき)が嶋もほど近し 蜑(あま)の小舟(をぶね)こぎつれて 肴(さかな)わかつ声々に つなでかなしも とよみけん心もしられて いとゞ哀也(あはれなり) 其(その) 夜目盲(よめくら)法師の琵琶(びわ)をならして奥浄(おくじやう)るりと云(いふ)ものをかたる平家にもあらず 舞にもあらず ひなびたる調子うち上(あげ)て枕(まくら)ちかうかしましけれどさすがに辺土の遺風忘れざるものから 殊勝(しゆしよう)に覚(おぼえ)らる

【現代語訳】

  それから野田の玉川、沖の石を訪ねた。末の松山には末松山と号する寺が建てられている。松の木々の間は皆墓原になっていて、「比翼連理(ひよくれんり)の契」を交わしても、その末にはこのように墓に入ることになると思うと、悲しさも深まったところ、やがて塩竈の浦で夕暮れの鐘の音を聞いた。
 五月雨の空がいくらか晴れて、夕月がほのかに照らし、籬(まがき)が島も間近に見える。漁師の小舟が連れ立って漕ぎ帰り、魚を分け合う声を聞くにつけても、古人が〈綱手かなしも〉と詠んだ気持ちもよく分かり、いっそうしみじみとした心地がするものだ。その夜、盲目の法師が琵琶をかきなら奥浄瑠璃(おくじようるり)というものを語った。平家琵琶とも違い、幸若舞(こうわかまい)の曲でもない、いなかめいた調子で声を張り上げて、枕元から近くてやかしましいけれど、さすがに片田舎に残る昔からの文化を忘れずに伝えているものゆえ、感心なことと思われた。

【解 説】

『おくのほそ道』は、俳人松尾芭蕉(まつおばしよう)(1644~1694年)が門弟曾良(そら)を伴って、元禄2年(1689年) 3月27日(陽暦 5月16日)に江戸を立ち、東北・北陸の名所旧跡を巡り、同年9月、岐阜大垣に至るまでの約150日、約600里(2400㎞)に及ぶ旅の紀行本であり、日本古典文学の代表的作品となっています。
 芭蕉は旅立つにあたり、伊賀上野の俳友に「松島の朧月(おぼろづき)」と「鹽竈(しおがま)の桜」を楽しみしているという手紙を残していますが、塩竈を訪れたのは同年5月8日(陽暦6月24日)、御釜神社、野田の玉川などを巡って裏坂の治兵衛の宿に泊まり、翌日、鹽竈神社を参拝し、船で籬島などを眺めながら松島へ向いますが、残念ながら鹽竈桜をみることは叶いませんでした。

作者・著者:松尾芭蕉(まつお ばしょう)
年代:元禄時代
材質・形状:石碑
所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道)
閲覧可

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