人口がさらに多くなったことにより、
これまでの水源だけでは水が足りなくなったため、
昭和3年(1925)、仙台の七北田川を新しい水源とすることになりました。
七北田川は、流域の田んぼや畑に水を引くための大切な水源だったので、
塩竈市が使う水は、田んぼに水が引かれていない時期に1年分まとめて
加瀬沼にポンプでくみ上げ、貯めておくことになりました。
塩竈市では、加瀬沼から権現堂の浄水場まで水を送り、
きれいにしてから人々のもとへ送るようにしました。
七北田川の取水口
加瀬沼
七北田川と加瀬沼は、その後30年以上塩竈市の水源として使われましたが、
徐々に水の汚れがひどくなり、昭和38年(1963)に利用が中止されました。
昭和30年(1955)ごろからは経済が成長して工場が増えたので、
工場で使う水を確保するため、昭和36年(1961)に大倉川上流(仙台市)に
完成した大倉ダムを水源とする計画が立てられました。
仙台市と塩竈市が共同で大倉ダムから国見浄水場(仙台市)まで水を送り、
ここから梅の宮の新しい浄水場まで水を引くための水道管を設置しました。
これによって十分な水を供給できるようになり、水不足は改善されました。
大倉ダムは、現在も塩竈市民の生活を支える大切な水源になっています。
大倉ダム
その後も、平成3年(1991)に完成した七ヶ宿ダムからも水を引いたり、
これまで作った水道管や配水池を直したり、
新たに増やしたりする工事を何度も繰り返し、
塩竈の人々が十分な量の水を安定して使えるようにしています。