塩竈ゆかりの人物

塩竈にゆかりのある人物一覧から探す。

杉村 惇(すぎむら じゅん)

杉村惇
  • 洋画家|1907~2001
  • 洋画家。日展参与、日展審査委員、宮城教育大名誉教授、日展岡田賞、日展菊華賞、文部大臣賞、河北文化賞を受賞、地域文化功労文部大臣表彰、塩竈市文化功労者。
    東京美術学校(芸大)在学中に帝展に初入選し、昭和8年、9年の第1回、第2回河北美術展で河北賞を受賞しました。戦後、塩竈築港大通り、そして旭町に移住し、塩竈の風景や魚を数多く描きました。静物画を得意とし、重厚な独自の画風を確立しました。日展評議員、東北大、宮城教育大教授をつとめました。仙台市名誉市民でもあります。
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佐藤 鬼房(さとう おにふさ)

佐藤鬼房
  • 俳人|1919~2002
  • 俳人。現代俳句協会賞(第3回)、詩歌文学館賞(第5回)、宮城県芸術選奨、河北文化賞を受賞、塩竈市政功労者。幼い頃、祖父とともに、塩竈に移住しました。昭和10年『句と評論』に投句。西東三鬼に学んで「風」「天狼」「海程」の同人となりました。ヒューマニズムと風土に根差した意思性の強い作風の俳句を数多くつくっています。主な作品に『名もなき日夜』『夜の崖』『海溝』『佐藤鬼房句集』『地楡』『鳥食』『半跏坐』などがあります。『小熊座』主宰で、現代俳句協会顧問をつとめました。1993年『瀬頭』で蛇笏賞受賞。
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長井 勝一(ながい かついち)

  • ガロ編集長|1921-1996
  • 1921年、宮城県塩竈市出身。1960年代半ば、貸本漫画が衰退のなか、「彼らが何の制約もなく活躍出来る場を自分が提供しなければ」と、病気療養中の62年に青林堂を設立。64年より『ガロ』を発行。白土三平や水木しげるなどの有名作家から、つげ義春や花輪和一などの異才を輩出した名物編集長。1995年第24回日本漫画家協会選考委員特別賞を受賞。1998年11月故郷である宮城県塩竈市に長井勝一漫画美術館開館。
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中原 誠(なかはら まこと)

中原誠
  • 棋士|1947-
  • 棋士。将棋大賞最優秀賞、最多勝利賞、最多対局賞(第1回)、塩竈市民栄誉賞を受賞。生まれてまもなく塩竈市小松崎に移住しました。5才で将棋を覚え、10才の時高柳敏夫8段の内弟子になりました。昭和43年(1968)20歳で棋聖に、昭和47年には大山名人を破って史上最年少で名人になり、「16世名人」の資格を得ました。
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平間 至(ひらま いたる)

平間至
  • 写真家|1963-
  • 1963年生まれ。宮城県塩竈市出身。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、写真家イジマカオル氏に師事。動きのある人物撮影で、今までにないスタイルを打ち出し、写真から音楽が聞こえてくるような作品により多くのミュージシャン撮影を手掛ける一方、近年では、舞踊家田中泯の「場踊り」シリーズをライフワークとして撮り続け、世界との一体化を感じさせるような作品制作を追及しています。また、昨年レンタル暗室とギャラリーを兼ね備えたスペース「PIPPO」をオープン。写真と人との繋がりの場を目指し、ワークショップを行ったり、塩竈フォトフェスティバルを開催するなど、写真普及の活動にも力を入れています。
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佐藤 允了
青木 喜山
若合 春有
板橋 恵子
  • 報道
  • しおがま文化大使
菅野 潤
  • 音楽
  • しおがま文化大使
畑中 みゆき
  • スポーツ
  • しおがま文化大使
本間 秋彦
  • 芸能
  • しおがま文化大使
鶴田 美奈子
  • 音楽
  • しおがま文化大使

塩竈を築いた人々

長南 和泉衛 ちょうなん いずみのかみ
  • ~1654
  • かずさのくに上総国(今の千葉県)長南の領主でしたが、2年(1616)一族とともに寒風沢にやってきて、土地の埋め立てや港づくりに力をつくしました。また、黒松の種を持ってきて近くの島や浜に植えたといわれます。これらは後に寒風沢が港として栄える基礎となりました。
藤塚 知明 ふじづか ともあき
  • 1738~1800
  • 貧しい漁師の家に生まれましたが、すぐれた才能に恵まれ、鹽竈神社の神官である藤塚知直の養子となり、知直の志をついで、「塩竈社古説伝」を書きました。史蹟の研究にもつとめ、詩歌にもすぐれた作品を残し、仙台藩の代表的な学者でした。また、日本や中国などの本を一万冊以上集めて、「名山文庫」をつくりました。
菊池 雄治 きくち ゆうじ
  • 1838~1900
  • 明治5年(1872)に、戸長(村長)に選ばれ、湊税の取りたて、運輸の取りしまりをおこなう一方で産業をすすめ、町の発展のため努力し、明治6年(1873)には、塩竈学校(今の第一小学校)を開校しました。築港工事では、遊佐快禛らとともに力をつくし、後に塩竈港建設のために県議会議員になり、その推進につとめました。
清水 有閑 しみず ゆうかん
  • ~1665
  • 伊達忠宗(二代藩主)の学問の先生として招かれ、仙台藩の学問のもとを築いた学者です。また、藩の新田開発を積極的にすすめ、「吉津」の干拓に力をそそぎました。庚塚や越の浦の野原や湿地を開き、堤防を築いて開拓をおこない、今の吉津のもとをつくりました。
遊佐 快禛 ゆさ かいしん/寿助 じゅすけ
  • ~1917
  • 二代目快禛は、明治に入って急速にさびれていった塩竈の発展のためには、港を整備することが大切であると考え、開港場をつくるため努力しました。息子の寿助も築港に熱意をもってとりくみ、村の補助金と村人の寄付金6,000円を集め、塩竈の築港工事をはじめました。これが現在の塩竈港の第一歩となりました。
水間 豊稲 みずま とよしね
  • 1841~1911
  • 塩竈町が誕生した翌年の明治23年(1890)、初代町長に選ばれ、教育・土木・衛生に力を入れて町政をおこないました。特に、長い間の問題であった水不足を解決するために、上水道工事の実現に努力し、春日沼から赤坂権現堂までの工事をはじめました。その工事は彼の死後、明治45年(1912)に完成しました。
鈴木 勘右衛門 すずき かんえもん
  • ~1793
  • 鈴木家は麴をつくり、酒の醸造業を営み、代々検断という町役人をつとめていました。二代目勘右衛門の頃、塩竈は人口の増加が重なり、井戸水の不足に苦しんでいたため、彼は、泉沢から祓川に水を引き堰をつくり、樋で水を流して町の人々を水飢饉から救いました。祓川の碑は彼の功績をたたえたものです。
小池 曲江 こいけ きょくこう
  • ~1665
  • 当時有名な絵師だった松村瑤江の弟子として、彼の画風を受けつぎ、中国の写生画のようなこまやかで美しい花鳥山水を描き、この画風をはじめて東北地方につたえました。また、全国を旅行しながら絵を描きました。明治になって仙台藩「四大画家」のひとりにかぞえられました。雲上寺には阿弥陀像を、松島の瑞巌寺には観音像を描いた石碑が残っています。
白石 広造 しらいし こうぞう
  • ~1913
  • 明治4年(1871)、桂島の石浜に「白石廻送店(白石商会)」をつくって海運業をはじめ、北海道や三陸の各港と航路を開き、さらに、遠くカムチャッカ半島までラッコ漁に出かけました。海産物の販売、外米、豆かすの輸入、また養蚕や米の品種改良などもおこない、また消防組、電力会社をつくるなど、塩竈の町の発展につくしました。