籬が島は、塩釜湾の北岸近くに浮かぶ島です。
塩竈や籬が島は古くから和歌によまれ、松尾芭蕉もおくのほそ道の旅で訪れています。
和歌によまれた心に感じる風景を今に伝えており、国の名勝に指定されています。
江戸時代中期の俳人、松尾芭蕉は古くから和歌に詠まれていた歌の名所を訪ねて東北・北陸地方を旅し、紀行文学の傑作『おくのほそ道』を完成させました。芭蕉とその弟子曾良が書きとめた風景は、後の人々の見方に大きな影響を与えました。
「わが背子を 都にやりて 塩竈の まがきの島の まつぞ恋しき」など多くの歌に詠まれた歌枕である籬が島は、塩竈湾の北岸近くに浮かぶ周囲約150mの島です。『おくのほそ道』には、塩がまの浦辺から、漁師たちが小舟を漕ぎつらねて捕った魚を分け合う声々とともに、夕月が照らし出すように幽かに望むことができたと記されています。この情景に松尾芭蕉も心を打たれたのでしょう。
<原文>
鹽竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もほど近し。蜑の小舟漕ぎ連れて、肴分かつ声々に「つなでかなしも」とよみけん心も知られて、いとどあはれなり。
<現代語訳>
和歌に詠まれた塩竈の浦に出ると、無常の響きを伝えるかのように、寂しい夕暮れの鐘の音が聞こえてきた。五月雨の時期の空もやや晴れて、夕月がかすかに照らす中に、歌枕として知られる籬が島も間近に見える。漁師たちの小船が連なって帰って来て、とった魚を分け合う声を聞いていると、古い時代の人が「網手かなしも」とよんだという、その心も自然と思い知ることができ、一段と深い感動をおぼえた。
夕日の籬島
- 指定
- 国指定文化財名勝「おくのほそ道の風景地」平成26年