志波彦神社

志波しわひこ神社じんじゃ鹽竈しおがま神社じんじゃ境内けいだいにあるもうひとつのおおきな神社じんじゃで、
まつられている志波しわ彦神ひこのかみ国土開発こくどかいはつ農耕のうこう守護しゅご神様かみさまとして
信仰しんこうされています。

志波彦しわひこという名前なまえ由来ゆらいは、
仙台市せんだいし志波町しわちょう栗原郡くりはらぐん志波姫しわひめちょうなどの「シワ」のついた
地名ちめいからきているというせつがあります。
この「シワ」は、国土こくど北限ほくげんという意味いみがあるといわれています。

  • 志波彦神社
    志波彦神社

もともとは奈良なら平安へいあん時代じだい国府こくふ多賀城たがじょうかれた場所ばしょのすぐちかく、
仙台市せんだいし岩切いわきり冠川かむりがわ現在げんざい七北田川ななきたがわ)のほとりにあり、
朝廷ちょうていからうやまわれていましたが、国府こくふ多賀城たがじょう役割やくわりえてからは
志波彦しわひこ神社じんじゃもさびれてしまったため、明治めいじ7ねん(1874)、
いったん鹽竈しおがま神社じんじゃ別宮べつぐう神様かみさまをおまつりすることになりました。

その当時とうじ宮司ぐうじあたらしい社殿しゃでんつくるよう政府せいふながあいだうったつづけ、
ようやくくにのおかねつくることが決定けっていしました。

昭和しょうわ9ねん(1934)にはじめ、4年後ねんご社殿しゃでん完成かんせいしました。
この社殿しゃでん塩竈市しおがまし有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していされています。