塩竈はどんなまちだった? ~江戸時代のはじめから中ごろ~

答え

伊達だて政宗まさむね(1567~1636)※1は現在の仙台市に
城(仙台城、別名で青葉城)をつくりました。
塩竈しおがま城下町じょうかまち仙台への荷あげ港として発展はってんしていきました。
また、塩竈湾の島である寒風沢さぶさわ※2は米が集まる港として栄えました。

  • 伊達正宗
    伊達正宗(写真提供:仙台市観光交流課)
  • 寒風沢島
    寒風沢島

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今から約400年前、戦乱せんらんの時代が終わり平和な社会になりました。

仙台は武士やその家族、町人が住む城下町じょうかまちとして発展しました。漁港である塩竈しおがま港には近くの漁船が入港し、水あげされた魚や海草などの海産物が仙台のさかな町で売り買いされました。仙台藩の北部でとれた米が塩竈湾の島である寒風沢さぶさわ島に集められ、江戸に運ばれました。主として風力で動く当時の船にとり、寒風沢港は強い風や高い波を避けるために都合がよい地形です。

しかし、塩竈港は遠浅とおあさで海底まで浅く、荷物を多く積んだ船が港に入ることができないときがありました。そのことから、塩竈を通らないで仙台まで荷物を運ぶ、海の道や陸の道が新たに整備されました。

塩竈を通らないで仙台に荷物が運ばれるようになったり、農作物がとれないときがあったりしたため、塩竈の町がさびしくなっていきました。

補足説明

※1 伊達政宗
初代仙台藩主、幼いころ右目を失明したことから後に独眼竜とよばれた。