鹽竈神社の歴史

鹽竈しおがま神社じんじゃがいつごろどのようにできたのか、くわしくはかっていませんが、
いまから1200ねん以上いじょうまえ平安へいあん時代じだいには、鹽竈しおがま神社じんじゃ名前なまえ記録きろくのこっていて、
かなりおおきな神社じんじゃだったことがかっています。

武家ぶけ社会しゃかいとなってからは、平泉ひらいずみ藤原氏ふじわらし鎌倉かまくら幕府ばくふ留守職るすしょく
陸奥国むつのくに国府こくふ多賀城たがじょうにあり、民政みんせいをつかさどったしょく)であった伊沢氏いざわし
そしてとく仙台せんだい藩主はんしゅとなった伊達氏だてしから、
東北とうほく海上かいじょうまもる「陸奥國むつのくに一宮いちのみや」としてふかくうやまわれました。

伊達家だてけ歴代れきだい藩主はんしゅ鹽竈しおがま神社じんじゃ大神主おおかんぬしつとめ、神社じんじゃてかえるなど、
手厚てあつく保護ほごしました。

  • 鹽竈神社随身門
    鹽竈神社随身門

現在げんざい鹽竈しおがま神社じんじゃ建物たてものは、
4だい藩主はんしゅ伊達だて綱村つなむら元禄げんろくねん(1695) に工事こうじ着手ちゃくしゅし、
宝永ほうえい元年がんねん(1704)5だい藩主はんしゅ吉村よしむらとき完成かんせいしたものです。
江戸えど中期ちゅうき神社じんじゃ建築けんちくとして価値かちたかいと評価ひょうかされ、
くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされています。