鹽竈神社の境内にある建物や文化財について、見ていきましょう。
石の鳥居
202段の石段がある、表参道(表坂)の入口にあります。
「陸奥國一宮」と書かれた額がかけられており、
この額は姫路(現在の兵庫県)藩主であった酒井雅楽頭の書いたものです。
石の鳥居は、神社を建てかえた記念に伊達家が奉納したもので、
石段に向かって左側の柱には4代藩主・綱村の子どものころの
名前「亀千代」が刻まれています。
この鳥居に使われている石は、岩手県一関のあたりから船で運ばれたそうです。
表坂石鳥居
社殿
鹽竈神社には、別宮、左宮、右宮の3つの本殿があり、
3柱の神様がまつられています。
別宮の別とは「特別(スペシャル)」という意味で、
ここに鹽竈神社の主祭神である塩土老翁神がまつられています。
楼門・随身門をくぐって右手に別宮があるのは、
塩土老翁神が海の守り神で、海難を背負っていただくよう海に
背を向けているからだと言われています。
また、正面に左宮・右宮があるのは、
ここにまつられている武甕槌神と経津主神が伊達家の守護神であるため、
仙台城からお祈りできる向きに作られたからだとも言われています。
鹽竈神社別宮
鹽竈神社左宮右宮拝殿
文治の鉄灯
左宮・右宮拝殿の手前右側に、
扉に太陽と月の形が彫られた鉄の灯籠があります。
この灯籠は、鹽竈神社の建物より古く、平安時代終わりごろのものです。
平泉に中尊寺を建てた奥州藤原氏も、鹽竈神社を深くうやまいました。
この鉄灯は、藤原秀衡の三男である和泉三郎忠衡が、
源氏との関係が悪化しつつあった文治3年(1187)に奉納したものです。
平泉の平和を願って奉納されたと考えられていますが、2年後の文治5年(1189)、
奥州藤原氏は源頼朝の軍勢により滅ぼされてしまいました。
江戸時代に歌枕をめぐる旅をした松尾芭蕉は、
この鉄灯を見てたいへん感激し、『おくのほそ道』に書きのこしています。
文治の鉄灯
鹽竈神社のタラヨウ
「葉書」の語源になったとも言われるタラヨウ(多羅葉)は、
葉の裏面をとがったもので傷つけるとその部分が黒く浮かびあがる
性質があり、字を書くことができます。
占いにも使われ、古くから神社やお寺の境内に植えられてきました。
鹽竈神社のタラヨウは樹齢が500年とも700年とも言われる巨木で、
宮城県の天然記念物に指定されています。
タラヨウ
鹽竈神社博物館
鹽竈神社博物館には、神社にまつわる宝物をはじめ、
まつられている神様にゆかりのある塩の資料、
塩竈市の近くで発掘された土器や石器、漁業関係の資料、
塩竈の偉人にゆかりのあるものなどがたくさん展示されています。
鹽竈神社博物館