宝暦7年(1757)塩竈の本町に生まれました。本名を維則といい、呼び名を周蔵といいました。曲江は雅号(本名の他につける風流な名前)です。
若い時から絵の道に進むことを望み、22歳のころ江戸で評判の高かった松村瑶江の弟子となり、一生懸命に絵を学びました。50年間にわたり全国を旅行し、各地の風景をかいています。
曲江の絵は、目で見たままを細やかに美しくかく写生画のような絵のかき方です。「松島塩竈図屏風」※1は天皇もご覧になり、曲江の絵はすばらしい絵であることを多くの人が感じていました。
曲江は東東洋(1755-1839)・菅井梅関(1784-1844)・菊田伊洲(1791-1853)とともに、仙台藩四大画家の一人です。弘化4年(1847) 90歳でなくなり、雲上寺※2でねむっています。
補足説明
- ※1 松島塩竈図屏風
- 細やかに絵筆を使い、立派で品のあり生き生きと、どこまでも広がる松島と塩竈の景色をかいた曲江のふるさと塩竈への思いが伝わる代表作です。
- ※2 雲上寺
- 塩竈市南町にある浄土宗のお寺です。
関連リンク
- 小池曲江の絵
- https://shiomo.jp/archives/436
- 塩竈松島図屏風
- https://shiomo.jp/archives/10106
- 芭蕉翁見文治灯籠図
- https://shiomo.jp/archives/10099
- 文治鉄灯
- https://shiomo.jp/archives/416
- 小池曲江の墓
- https://shiomo.jp/archives/2851