絵馬「鮭を運ぶアイヌ」ってなぁに? ~塩竈の文化財~

答え

浦戸うらと寒風沢さぶさわ島は、北海道ほっかいどうなどの産物さんぶつ江戸えどへ運ぶ船の中継港ちゅうけいこうとして栄えました。
航海こうかいの安全をいの神明社しんめいしゃに奉納したこの絵馬えまには、
鮭を持つアイヌ民族の親子がえがかれています。

  • 鮭を運ぶアイヌ
    鮭を運ぶアイヌ
  • 寒風沢神明社
    寒風沢神明社

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寒風沢島の神明社に江戸時代に奉納ほうのうされた絵馬です。絵馬とは、願い事や願い事がかなったおれいとして、神社じんじゃなどにおさめた絵がかかれた木のいたです。この絵馬には、アイヌ民族みんぞくと思われる親子二人がさけを持ち運んでいるようすが描かれています。江戸への中継港であった寒風沢島の神明社に航海の安全を祈って絵馬を奉納したと思われ、北海道や三陸地方との交易こうえき、アイヌ民族の生活を知る貴重きちょう資料しりょうです。

アイヌ民族は、江戸時代から明治めいじ時代に東北地方北部から北海道、サハリン、千島列島ちしまれっとうに住んでいました。そこはアイヌモシリ(アイヌ民族の言葉ことばで、人間の住む大地だいち)と呼ばれ、アイヌ語に由来ゆらいする地名が残っています。鮭はアイヌ民族の重要な食料の一つで、雪にざされる北国の大切な保存食でした。

補足説明

絵馬「鮭を運ぶアイヌ」
  • 制作  :江戸時時代中ごろから後期
  • 制作者 :不明
  • 奉納者 :不明
  • 保管  :東北歴史博物館
  • 展示  :タイムシップ塩竈(複製)
  • 指定  :市指定文化財
  • 参考資料:公益社団法人北海道アイヌ協会ホームページ