鹽竈神社

東北鎮護・陸奥国一之宮、国指定重要文化財

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別宮拝殿

別宮拝殿

 
左宮右宮拝殿

左宮右宮拝殿

鹽竈神社(国指定・重要文化財)

国指定重要文化財(有形文化財 建造物)平成14年12月26日指定
日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」平成28年4月25日認定

都人は景勝の地である塩竈にあこがれを抱き、和歌に塩竈への思いを詠んでいます。鹽竈神社は、千賀の浦をのぞむ一森山に位置し、東北地方全体の守り神として、朝廷から厚い崇敬を受けたばかりでなく、平泉の藤原氏、仙台藩主伊達氏が信仰してきた歴史ある神社です。
藩祖政宗以降歴代の仙台藩主が神社の「大神主」として祭事を司りました。現在の社殿は四代綱村が元禄8年(1695年)に造替に着工し、五代吉村の宝永元年(1704年)に完成しました。 “しおがまさま”の神威は今も光輝き、多くの参拝者を迎え地域や人々を守り導いています。

古代・中世の塩竈

塩竈は、古代より和歌に詠まれ、その景観の素晴らしさが都でも評判になり歌枕の地として有名です。塩竈の一森山に鎮座する鹽竈神社は平安時代初めまでに成立していたと考えられ、国府多賀城を支える重要な神社として朝廷も位置づけていました。その後、平安時代後期には奥州一宮として国府の政治を守護する存在となりました。
このころの鹽竈神社の参道は、鳥居原(現在の塩釜高校周辺)から江尻を下って、七曲坂を上るのみでありました。江尻から七曲坂へ渡るところは、塩釜湾(千賀の浦)の海が入り込んでおり、橋がなく船で渡ったと思われます。平泉の奥州藤原氏も鹽竈神社を深く敬いました。藤原清衡の孫である忠衡は鉄燈を寄進し、「文治の鉄燈」と呼ばれています。

社殿の変遷

慶長の造営
仙台藩祖伊達政宗により、慶長12年(1607年)、新しい鹽竈神社社殿が完成しました。その時の棟札写(鹽竈神社蔵)には、同年6月20日に「御遷宮」が行われ、「大檀那」として伊達「政宗」の名が記されています。当時の建物のようすは明らかではありませんが、屏風絵などから総合すると、随身門の代わりに長床があり、拝殿はなく、本殿が二棟並んでそれを廊下で結んでいるものであったと考えられます。奥州一宮として平安時代から続く鹽竈神社は、政宗にとって特に重要な神社であったことは間違いありません。

寛文の造営
四代藩主伊達綱村の時代には、社殿の造営と奉納行為、そして縁起の作成が行われます。新しい社殿は寛文3年(1663年)4月6日に完成します。そのようすは、塩竈大明神絵図(『御修復帳』、宮城県図書館蔵)や陸奥国松島之勝景(東北歴史博物館蔵)などによって詳細がわかります。特徴は、本殿は一棟で廊下によって拝殿とつながり、拝殿の東側には貴船・只洲の二社が建つ配置でした。

元禄の造営
延宝3年(1675年)9月に初入国を果たした綱村(当時は綱基)は、同年11月に名刀の太刀 銘 来国光を鹽竈神社に奉納しました。その祝詞には、先祖から受け継いだ領地の安泰などが願われています。これにならい、以後の歴代藩主も治世の節目に鹽竈神社へ太刀を奉納することが慣例となりました。
また、家臣・学者に命じて鹽竈神社に関する調査を行わせ、元禄6年(1693年)に『鹽竈神社縁起』を作成させます。この中では、それまで諸説が混乱していた御祭神を左宮・武甕槌神、右宮・経津主神、別宮・鹽土老翁神と確定させました。
これに伴って、元禄8年には社殿の大改築が行われることとなり、宝永元年(1704年)竣工の現在の社殿が造られました。その社殿は、長床に代わって随身門が置かれ、さらに内側の門の両側には廻廊が配されました。正面に左右宮の本殿と拝殿、右側には西向きに別宮本殿と拝殿が置かれています。

その後の造営
その後は、約20年ごとに屋根の葺き替えなどの修復(式年遷宮)が行われ、当時の姿を今に伝えています。明治に入り、明治15年(1882年)、明治35年(1902年)に遷宮を行い、大正11年(1922年)に屋根葺替を行いました。さらに昭和17年(1942年)に国費で修築が行われました。

塩竈の町

綱村は、鹽竈神社だけでなく、それを支える塩竈の町の振興にも努めました。それは、貞享2年(1685年)に塩竈村へ出された法令、いわゆる貞享特例に如実に示されています。その中では、年貢の減免や年250両に及ぶ金子の下賜、芝居興業の許可、塩竈港への商人荷物船などの強制的着岸などが定められており、異例の保護政策であったことがわかります。これによって、塩竈は港湾施設も充実し、商業・産業も復興しました。鹽竈神社を支える塩竈の町の復興が鹽竈神社の繁栄に不可欠であると考えた結果であると思われます。

<引用・参考文献>
『鹽竈神社の文化財』平成15年1月 鹽竈神社博物館
『特別展 奥州一宮鹽竈神社 しおがまさまの歴史と文化財』2007年8月9日 東北歴史博物館
『みやぎの文化遺産』2009年10月17日 東北歴史博物館
『塩竈の歴史』平成11年4月1日改訂 塩竈市教育委員会

<補足説明>
1 歌枕の地
和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡です。
「みちのくは いづくにあれど 塩釜の 浦こぐ舟の 綱手かなしも」(『古今集 東歌』)

2 国府多賀城(こくふたがじょう)
多賀城市に神亀元年(じんきがんねん)(724年)に大野東人(おおの あずまひと)によって創建された多賀城は、陸奥国府であるとともに、北方の蝦夷に対する前線基地でもありました。

3 太刀銘来国光(たちめいらいくにみつ)
鎌倉時代に作刀された重要文化財の太刀であり、領国安寧を祈願して四代藩主伊達綱村が鹽竈神社へ奉納しました。

4 太刀を奉納
藩主による鹽竈神社への太刀奉納は慣例で、治世の節目に行われました。いずれも華麗な糸巻太刀拵で、作刀は藩お抱えの刀工が行いました。太刀の奉納記録は39振あり、このうち35振が現存し、宮城県の有形文化財に指定され、鹽竈神社博物館において保存・公開されています。

5 元禄8年には社殿の大改築
左宮・右宮・別宮の三社殿が整然と配置されています。本殿・廻廊の雄大で抑制の利いた意匠には綱村の復古思想、拝殿・門の古風で華やかな意匠には江戸中期特有の堅実な創意が現れており、この二つの対比が見事な諧調を創出した近世社寺建築の秀作であります。

6 貞享特例(じょうきょうのとくれい)
鹽竈神社を深く信仰していた四代藩主伊達綱村は、その門前町塩竈の人々が苦しんでいることを見かねて年貢を軽くするなどの特別の命令を出しました。これにより、塩竈への荷揚げが増えて商業が栄え、参拝者や観光客などが集まる町となっていきました。

JPN|ENG

Shiogama shrine (A national important cultural property)

Called ‘Mutsunokuni Ichinomiya’ in ancient times, its founding year is unknown; however it existed as one of the most eminent shrines in the early 9th century, and received donations from the imperial court for rituals. It is believed that the origin of the name and the foundation is related to the reason that the place was Mutsu Kokufu,・Kokufutsu of Tagajyou, and the center of salt making. Tsunamura Date initiated construction in Genroku 8 (1695), and the current main building was completed in Houei 1 (1704) when HSH Yoshimura was the 5th lord of Sendai domain. “The Sanbondou Nihaiden is a shrine construction unique in Japan. The building arrangement was also systematic and well-planed. ‘Honden Hei-Den-Kai-Ro’ indicates an orthodox style with limited decoration. The antique detail of the front of the shrine and the brilliant patterns of the gates are said to create an exquisite euphony.” It is an example of the high standards of shrine construction adhered to in the middle of the Edo period. The shrine was designated as a national important cultural property. Designated on December 26, 14th year of Heisei (2002).

日本語|ENG

鹽竈神社の特徴

  • 志波彦神社志波彦神社
  • 鹽竈ザクラ鹽竈ザクラ
  • 多羅葉樹多羅葉樹
  • 老杉 御神木老杉:御神木
  • 銅鉄合製燈籠銅鉄合製燈籠
  • 文治鉄灯文治鉄灯
  • 表坂鳥居の扁額表坂鳥居の扁額
  • 随身門随身門
  • 石造りの日時計石造りの日時計
  • 長明燈:ますや燈籠長明燈:ますや燈籠
  • 高低几(記)号石柱高低几(記)号石柱
  • 絵馬殿絵馬殿
  • specials_keidai220境内末社
  • specials_karamon220唐門・手水舎
  • specials_maiden220舞殿
  • specials_higashi220東神門
  • specials_matananooka220亦の岡
  • specials_nanamagari220七曲坂
  • specials_urazaka220裏坂

施設案内

  • 〒985-8510
  • 宮城県塩竈市一森山1-1
  • TEL:022-367-1611
  • 入場:境内の参拝は自由
  • 開門時間:5:00〜20:00

アクセス

    ・JR仙台駅から
  •  JR仙石線でJR本塩釜駅まで28分
  •  JR東北線・仙石東北ラインでJR塩釜駅まで18分(最短)
  • ・JR本塩釜駅から
  •  表坂下の鳥居まで徒歩15分、裏坂下の鳥居まで徒歩10分、駐車場までタクシー5分
  • ・JR塩釜駅から
  •  表坂下の鳥居まで徒歩15分、裏坂下の鳥居まで徒歩20分、駐車場までタクシー7分
  • ・車
  •  仙台駅から鹽竈神社駐車場まで、国道45号又は県道8号(利府街道)経由で約30分
  •  三陸自動車道利府中IC又は利府塩釜ICから鹽竈神社駐車場まで約10分


鹽竈神社博物館

鹽竈神社

鹽竈神社博物館について

鹽竈神社境内にある博物館で、江戸期の鹽竈神社の神職を代表する知識人であった藤塚知明の屋敷跡に、1965年(昭和40年)に建設されました。鹽竈神社 の宝物を中心に、およそ5000点の資料を収蔵。伊達家による奉納の品々や、鹽竈神社を参詣した文人墨客の資料、あるいは帆手祭やみなと祭に使われる豪壮 華麗な神輿などをみることができます。 1階展示室には、鹽竈神社には欠かせない塩業関係資料と、港町ならではの漁業関係資料が展示されています。

施設案内

  • 〒985-8510
  • 宮城県塩竈市一森山1-1
  • 入館料:大人 200円/中高生150円/小学生 80円(団体 20名様以上割引)
  • 観覧時間:4月〜9月 8:30〜17:00/2・3・10・11月 8:30〜16:30 / 1・12月 8:30〜16:00
  • 休館日:年中無休
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