『塩竈まうで』

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【原文】

神無月ついたち、年月の本意かなひて、此の国の一の宮にまうでけり。さるは、かねてより此の日に御供奉らんと案内しおきて、雨にも障らじと思ひ立ちぬれば、心おだしきものから、みそかのよひより、嵐だちて降出でたるが、よもすがら止まず、玉水の音を聞く。あくれど、まうけするはいと心づきなし。明がた近くなりぬるころ、音のいさゝか遠くなるもうれし。出立つ頃は晴れにけり。例よりは寒からぬ年なり。此処にてははや雪も降りぬる頃なれど、火なども思ひかけず。原の町といふ所にて暫し休らふに、やうやうあかし消ちぬべくなりゆきたり。よもすがら降りぬる雨のなごり、風にかりぬといふか、いとすさまじく吹き出でたり。むらむら立てる岡辺の尾花は、吹来る風の強ければ、唯あやどる様におきふしなどす。されど幾程なく止みぬ。道は松の並木のみなり。ゆくさき少くて曲りたるを、こなたより見渡せば、朱(あけ)の鳥居一つ立てる有り。何の御社ならんと心留めて行くに、近うなりて見れば、蔦の松に懸りたるが、もみぢしたるなり。この外にも紅葉はあれど、まだ下染のむらむらと黒みたるのみにて、色もほがらかならねば、見所なし。をしねのみ、あまた所に刈り積みてあり。雁いと多し。白き色なる、なかばばかり見ゆ。あまた群れたちて飛びちがひたるは、白ぬのを曵けらん様なり。声いとあはれに聞ゆ。多賀のいしぶみなどは、はるかに見やらるゝを、急ぐとて寄りても見ず、いと口惜し。春こそとてなん。
 辰の半ばばかり、神司のもとに着きぬ。程もなく、御供奉ると聞こゆれば、まうでぬ。名だゝる御社のさま、聞きにしよりも勝りて、実に神さび物ふりて、いとたふとくぞ拝まれ奉りし。御供奉るほど、笛鼓などして拍子とりたるも、かうがうしうて、涙も止めあへず、なべての世の事、皆忘れてぞ有りし。此の神司のうちに、なま白なる人有りけり。其の人、兎角とりまかなひて、おほみきのおろしなど持て来てかづけ、ぬさしろ奉るにも案内などして、ねもころにぞ有りし。
 事果てゝ、また神司のもとに帰りぬ。藤塚式部といふ人の家なりき。この式部といふ人は、ざえすぐれて、古き物をめでつゝ、世に珍かなるかぎり求め出でて、人にも見せなどせしを、今はよこざまの罪にあたりて、流されにけり。其の子のまだいと若きが残り留りて、斯る事をもするなりけり。「是は何の瓦にて作りたる硯なり。こはえぞの国の弓矢なり。また同じ国のぬさなり。かれは、昔秀衡といふ人の物食ひしうつはなり」などいひて、さまざま取うでて見するは、一つとして女のめでぬべき物ならねば、をかしとは見ねど、この人の若き心に、父のしおきけんこと違へじと、欺くはするならむと思ふより、その人のもてなしけん俤さへ推量られて、いと哀に胸つぶつぶとなるこゝちす。
 日も傾きなんとすれば、立出でぬ。かへさは暮果てぬれば、唯急ぎにのみ急ぎて、何のあやめもなし。亥の時ばかりにぞ家には帰りぬる。

作者・著者:只野 真葛(ただの まくず)
年代:寛政10年