塩竈では、古くからその豊かな自然を生かし、人々の生活が営まれてきました。国府多賀城の津として、鹽竈神社の門前町や漁港として、海とともに栄えてきました。 現代に至るまでの長い年月、時代の波を乗り越え、豊かな歴史と風土が培われています。

Shiogama has a rich history dating back to the Jomon period. Over the years, Shiogama has become one of the most famous fishing ports in the Tohoku region, boasting an abundant fish harvest, and developing as a sightseeing city.

ラッコ船開盛丸

開盛丸乗組員写真 開盛丸遺品 シトカ市歴史協会返還決議文 鈴木新五のはがき 鈴木新五のはがき 奥田武治の手紙 奥田武治の手紙 ラッコ船・開盛丸遺品(船体の一部、薬瓶など) 年代:明治時代 収蔵場所:タイムシップ塩竈 塩竈市本町1-1 閲覧可

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曲木島 Magaki island

曲木島(まがきしま) 曲木島は籬島とも称し、 往昔鹽竈神社築造の際 「曲木を巧みに用いた」 籬島明神を祀る古祠が島名の由来。 この島は古来名島として歌枕に使われ古今集、 続後撰集などにはこの島を読み込んだ歌が数多く見られます。 「わがせこをみやこにやりて塩竈のまがきの島のまつぞ恋しき (古今和歌集 東歌)」 昭和41年9月20日指定 材質・形状:塩竈市指定・名勝地 収蔵場所:宮城県塩竈市新浜町1丁目 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Magaki island (Shiogama city designated scenic spot ) DESCRIPTION Magaki (曲木) island is also written Magaki (籬) island. When Shiogama shrine was built, the name was derived from a small shrine deftly made of curved(曲)wood(木) which deifies Magaki-jima Myoujin, a great God of Magaki(籬) island. You can find the name of this great island in ancient anthologies of poetry such as the Kokinshu or the Shokugo Sensyu. “Wagaseko o Miyakoni yarite Shigama no magakino shima no matuzo koishiki (Kokinwaka syu Touka)” Designated on September 20th, 41st year of Showa(1966). LOCATION I Chome, Shinhama-cho, … Continue reading

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白石広造邸宅跡 Shiraishi Kouzou house ruins

白石広造邸宅跡(しらいしこうぞうていたくあと) 白石氏は塩竈開港の恩人で、 明治4年に北海道や三陸の各港との廻漕業を興したのをはじめ数々の事業に着手され、 さらに開盛丸・権現丸・洪栄丸の三帆船を以って遠洋漁業 (ラッコ・オットセイ猟) を興しました。 材質・形状:遺跡・史跡 収蔵場所:宮城県塩竈市 石浜 閲覧可 JPN|ENG Shiraishi Kouzou house ruins DESCRIPTION Mr. Shiraishi is a benefactor for the opening of Shiogama port. He started doing business with Hokkaido and other ports in Sanriku in Meiji 4 (1871), and then became involved with a lot of other projects. He also launched three ships (Kaiseimaru, Gongenmaru, Kyoeimaru) to partake in pelagic fishery and to hunt fur seals and sea otters. LOCATION Ishihama, Shiogama, Miyagi

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藤塚知明の墓 Grave of Tomoaki Fujizuka

藤塚知明の墓(ふじつかともあきのはか) 江戸末期の鹽竈神社の神官です。神道の研究はもとより、林子平などとも親交があり、「海国兵談」の出版を援助しています。晩年、仏舎利事件で藩から罰せられ、寛政12年(1800年)に63歳で配所の桃生郡鹿又村で亡くなりました。市内みのが丘4の雲上寺管理の墓所に墓碑があります。 材質・形状:墓碑 収蔵場所:宮城県塩竈市みのが丘5地内 みのが丘霊園 JPN|ENG Grave of Tomoaki Fujizuka DESCRIPTION Tomoaki Fujizuka was a priest of Shiogama shrine in the late Edo period. He had a close friendship with Kodaira Hayashi, and supported the publishing of the “Kaikoku-hei-dan”. Late in his life, he was punished for an incident (Bussyari-jiken) that occurred in the domain, and in Kansei 12 (1800) he died in exile in Monou-gun Kanomata village at the age of 63. His tombstone is in the graveyard managed by Unjo temple (Minogaoka 4, Shiogama city) LOCATION Minogaoka cemeteries, Minogaoka-5, Shiogama, Miyagi 日本語|ENG

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髙橋家住宅主屋 Main house of Takahashi family

髙橋家住宅主屋(たかはしけ じゅうたくおもや) 登録有形文化財 鳴瀬町産の凝灰岩を用いた当地方特有の石造建物。 施工は地元の八島工務店が行った大正11年の建築です。塩竈地区のたばこ販売の拠点として建てられました 全体に意匠は簡素ですが、正面2階頂部には装飾的な商標が残っています。 平成10年1月8日付指定 平成23年3月11日に発生した東日本大震災によって甚大な被害を受け、平成23年11月解体。 平成24年5月17日付けをもって登録有形文化財の登録抹消 文化財登録制度:これは、築後50年を経過している古き良き建造物 (デザイン優秀・再現困難・歴史的景観の基準) を対象とし、活かしながら保存するために国 (文化庁) が登録し支援するもので、従来の指定制度に比べ諸規制が少ない制度です。 年代:1922年 材質・形状:建造物 収蔵場所:宮城県塩竈市宮町8-14 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Main house of Takahashi family Registered Tangible Cultural Property This home was built using stone from Naruse town. This kind of building is distinctly representative of Shiogama district. The construction was done by Yashima-komuten, a local builder, in Taisyo 11 (1922). It was the center of tobacco selling in the district. The building is designed very simply but the decorative trademark still remains on the top front wall of the second floor. Designated on January 8th, Heisei 10 (1998). The Cultural Property Registration System is the registration … Continue reading

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亀井邸

亀井邸 (かめいてい) 鹽竈神社裏坂の大鳥居をくぐり、左手の高台を見上げると、赤松に囲まれた洋館と和風住宅が見えます。これは、亀井商店(現・カメイ株式会社)の初代社長である亀井文平氏が大正13年(1924年)に建てた、塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛を象徴する建物です。 亀井邸は建築史的に見ると「和洋併置式住宅」と呼ばれる様式の建物です。この様式は、明治時代に上流階級(皇族、華族階級)の大邸宅に用いられた「和洋二館住宅」を、上層階級の庶民であれば手が届くようにしたものです。 亀井邸は、伝統的な和館(日本建築)に洋館(西洋建築)を併置して建てられています。和館と洋館、共に豊富な資金と、優れた材料、優れた技術が投入され、随所に当時流行した様々な意匠(デザイン)を取り込みつつ相当に手をかけて造りこんでいます。 洋館の外壁には、当時パリから始まった植物の枝や蔓(ツル)を思わせる曲線の流れを特色とするアールヌーボー様式や、ウィーンを起点とする水平線、垂直線を強調し、幾何学模様を多用するセッション様式のデザインも取り入れられ、現代の左官技術においての再現は難しいデザイン様式を取り入れています。また、和館部分には当時の町屋建築に多く見られる出桁(だしげた)造りを住宅に採用しています。 洋館の建具には、数寄屋建築に見られる丸窓や幾何学的形態や機能美を求めたアールデコ様式を採用し、家具には宮城県地方独特の室内装飾である押込箪笥(桐箪笥)を大胆に用いています。和館二階の雪見障子にも、当時の工法で作った砂磨りガラスを用いているほか、建具の取手もひとつひとつ手作りで、一階の離れには七宝焼きの取手や二階の小部屋には日本石油(現・JXエネルギー株式会社)の社章である「こうもり印」をかたどった鋳物の取手など、地元の固有のデザインが取り入れられています。 亀井邸が建築された大正13年頃を挟む大正から昭和初期は、材料の流通が活発化し、高品質の材料が手に入りやすくなりました。また、木材を加工する道具類(いわゆる大工道具)や技術(大工、左官工、建具工、瓦屋など)が頂点に達した、伝統的な日本建築の一つの頂点の一時期とされています。 亀井邸は日本と世界のデザインとが融合した意匠を作り出していると言う点で、他に類例を見ないきわめて貴重で、東北地方の流通拠点であった港町塩竈の大正ロマンを感じる魅力的な建物です。 亀井商店の創業と亀井文平 【創業期】 仙台市大町で雑貨商を営む高野商店での奉公を終えた亀井文平氏が、塩竈町門前52番地(現、塩竈市宮町3番15号・丹六園西隣)に暖簾を掲げ、亀井商店(現・カメイ株式会社)は明治36年(1903年)7月に創業しました。それは文平氏が20歳、岩手県岩谷堂の故郷を出て数年後のことです。 当時の塩竈は、明治20年に東京・塩釜間を起点とする東北本線が開通し、同時に電信も開通するなど、近代都市の整備が充実し始め、仙台の門戸港として、また東北各地へ出入りする貨物の中継基地として賑っていました。文平氏は、荷揚げに便利であった祓(ハライ)川(現北浜・沢乙線)に面した場所に砂糖、小麦粉、食用油、髪油、灯油やろうそくの製造販売の店を開店しました。 【塩釜の整備と亀井商店】 明治20年(1887年)に東京茅場町で火力発電が建設され、電灯の一般営業が始まり、明治44年(1911年)には塩竈でも電灯が利用されるようになりました。明治末期には都市部においては、ランプから電灯に代わり灯油が斜陽化しつつありました。しかし、石油が固形燃料に比して種々の特徴を有することが広く認知されるようになり、明治30年以降、一般家庭で使用されるようになっていました。 古くからの産油地である新潟県尼瀬(石油産業発祥の地)においては、明治26年(1893年)に日本石油((現・JXエネルギー株式会社)が株式会社となりました。新潟県は、石油ブームに沸き、こうもり印などの国産越後油の名が広がっていきました。日本石油㈱は東北に販路を求めて、活況を呈していた塩釜港に着目し、当時砂糖、酒類等を手広く扱っていた遊佐一貫堂に販売を申し入れました。しかし、同店は薬種(塩竈番紅湯(ばんこうゆ)「サフラン湯(とう)」等)も商っており、石油は臭気が強く危険な物とみられていたこともあり、販売を断ったと伝えられています。 これを聞いた文平氏は、この販売権を獲得することこそが亀井商店の将来にわたる基礎を築くことと考え、日本石油株式会社への嘆願に努め、ついに明治41年(1908年)三陸沿岸における日本石油株式会社の代理販売店の資格を取得しました。 この頃の塩釜港は、明治15年(1882年)に始まる開港場(かいこうば)の埋立てによる港湾整備が進み、明治43年(1910年)には、塩釜港は東北で初めてとなる国の重要な港湾として整備を促進する第2種港湾の指定を受けました。明治45年(1912年)には県内で二番目となる近代的上水道(現・権現堂浄水場)の完成を契機に東北で初めてとなる製氷会社塩釜製氷㈱が設立され、いつでも氷があるということから、塩釜港には外来船の入港が増加しました。 【塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛】 大正4年(1915年)には第一期築港工事が起工され、東北発となる商港としての整備が進められるなか、塩竈から東京、函館への航路も開かれ、北海道からのニシン、サケ、コンブなどが入荷し、塩竈の水産物の取引も黄金時代を向かえ、水産加工、缶詰などの事業が興りました。 一方で、動力化による漁船の大型化や漁具等の発達により、金華山漁場が開拓され、塩釜港の出入も頻繁になり、燃料用の石油類の需要が増加しました。また、第一次世界大戦による好景気と、石油内燃機関や交通機関の発達によりガソリン等の需要が進伸し、石油ブームともいえる活況を呈していました。亀井商店もこの好景気に乗り、販売前から値があがり、面白いほどの利益をあげたと伝えられています。 このように、亀井商店が現在の総合商社としての基盤づくりをした時代に「亀井邸」は建築されています。亀井邸は、近代(明治・大正時代)の塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛を象徴する歴史的建造物です。 資料協力:(特非)NPOみなとしほがま 歴史的建造物保存活用部会 建物調査実施者:塩竈市教育委員会・(特非)NPOみなとしほがま 建物調査者: 玉井哲雄(千葉大学工学部教授) 斎藤善之(東北学院大学経済学部教授) 榎本悟・横内浩史・足立俊輔(千葉大学工学部大学院) 高橋幸三郎・大和田庄治(NPOみなとしほがま) 参考文献:「百折不撓・カメイ100年の歩み」カメイ㈱ 年代:1924年 材質・形状:木造 場所:宮城県塩竈市宮町5-5 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG 日本語|ENG

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公民館本町分室(旧塩竈市公民館)

公民館本町分室(こうみんかん もとまちぶんしつ)/旧塩竈市公民館 塩竈市指定・有形文化財(建造物)  昭和25年(1950)に起工、翌26年に落成したモダンで美しい建造物で、平成25年10月に塩竈市有形文化財に指定されました。地域産材の利用や先進的な木構造の採用など、半世紀を超えて公共建築が目指すべき方向性を示してきた建造物です。  建物は、「管理棟」と「大講堂」からなります。  管理棟は、一階を鉄筋コンクリート造、二階を木造としたハイブリット構造で、外観上はあたかも鉄筋コンクリート二階建てのように見せています。また、柱や外壁、門などには手の込んだ表面仕上げが施された塩竈石が大量に使用され、建物の大きな見所となっています。  公民館利用者の増大に対応するため、昭和32年(1957)に増築された大講堂は、高さ9.5mの大空間が圧巻です。柱には集成材が使用され、逆さカテナリー曲線(懸垂曲線)を木造で実現した日本でも初期の建築とされています。  昭和51年(1976)に新しい公民館が建設されたため、取り壊しが検討されましたが、建物が堅牢であることや利便性の良さなどから「塩竈市公民館本町分室」として残され、利用が続けられました。平成25年に大規模改修を行い、平成26年11月には建物の一部を使って「塩竈市杉村惇美術館」が開館、公民館と美術館を併設する施設となりました。 年代:1951年 材質・形状:建物 場所:宮城県塩竈市本町8-1 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

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鉄道レール

材質・形状:鉄製 収蔵場所:宮城県塩竈市海岸通 みなと広場「シオーモの小径」 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

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権現堂浄水場及び配水池 Gongendō water filtration place and water supply bed

権現堂浄水場及び配水池(ごんげんどうじょうすいじょうおよびはいすいち) 慢性的な水不足を解消するため、 明治23年上水道工事に着手、 明治45年に近代的水道施設が完成しました。 利府の春日水源 (湧水2,400/日) より取水し、 権現堂までの延長4,340を導水し、 ろ過池・配水池を経て、 町内に配水するものでした (計画給水人口14,000人、 一人平均給水量111)。 この権現堂浄水施設は本市水道創設期を物語る歴史的建造物です。 年代:1912年 材質・形状:建物 収蔵場所:宮城県塩竈市権現堂2-43 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Gongendō water filtration place and water supply bed DESCRIPTION To solve the chronic water shortage, water supply construction started in Meiji 23 (1890). It was completed in Meiji 45 (1912) and was a modern water supply facility in those days. It had better intake compared to the Kasuga water source in Rifu (2400 m3 spring/day). It conveyed the water to Gongendō through 4,340m, through a filter and then on to the town. (water supply plan: population of 14000, the average 111ℓ water per person) This historic facility … Continue reading

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水道の碑 ①祓川の碑 ②水道の碑 ③水道拡張碑 Monument of Water

水道の碑(すいどうのひ) ①祓川の碑 (熊野神社) 安永6年 (1777年) 大肝入り鈴木勘右衛門が水道事業をおこし泉沢堤から水道 (竹樋) により給水し水不足の解消をはかった顕彰碑です。 もとは、 赤坂橋近くにありましたが、 戦後河泥に埋もれるのを憂えて、 現在の権現堂浄水場内に移されました。 ②水道の碑 飲料水の不足に堪えかねた塩竈が明治23年に利府町春日からの引水工事に着手、 45年に完成しました。 総工費15万円。 碑文にはその事業経過と参画者名が印され、 同地内の熊野神社脇に拡張工事の碑文もあります。 年代:1912年 材質・形状:石碑 収蔵場所:宮城県塩竈市権現堂浄水場内 権現堂2-43 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Monument of Water (Monument of Harai river, Monument of water, Monument of water works expansion) DESCRIPTION ① Harai river monument (Kumano shrine) In Anei 6 (1777), Kan-emon Sugiki solved the problem of water shortage by having water pipes (bamboo gutter) laid from the Izumisawa water bank to supply water. Originally, the monument was located near Akasaka bridge but during the war, it was thought that it might be buried in the mud of the river, so it was moved to the current Gongendō … Continue reading

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母子石 Hahako stone (Stone of mother and child)

母子石(ははこいし) 今から1200年前の昔 (平安) のことです。 多賀城の政庁が間もなく完成しようとした時、 人柱を立てて永久の護りにすることになりました。 人柱に選ばれたのは親娘三人で暮らしていた信仰の厚い父でした。 やがてその日が来ました。 母と娘は悲しみのあまり飲みも食いもせず傍の石の上に立っていつまでも泣きつづけその声が消えた時は母娘とも冷たい屍になっていました。 二人の立っていた石には母娘の足跡が残されました。 塩竈九石の一つ。 (九石…お津むきの石、 影向石、 波よけの石、 男石、 女石、 牛石、 御腰掛石、 しるべの石、 母子石) 材質・形状:石碑 収蔵場所:宮城県塩竈市白菊町2-34 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Hahako stone (Stone of mother and child) DESCRIPTION This is a story that takes place about 1200 years ago (in the Heian period). When the government office building of Tagajo was almost completed, the idea of Jinchu (a human sacrifice by live burial to pray for the safety of the building) was in practice, and the person chosen was a devoted man who lived with his wife and daughter. The day came, and his wife and daughter grieved deeply. They were … Continue reading

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野田の玉川の碑 Noda Tamagawa monument

野田の玉川の碑(のだのたまがわのひ) 全国・六玉川の一つ。 玉川は塩竈・多賀城両市の境界付近の細流で古くは歌枕に詠まれました。 「夕されば潮風越してみちのくの野田の玉川千鳥鳴くなり」 (新古今、 能因法師) の碑の裏面にも塩竈の俳人白坂文之の 「玉川や田うた流るる五月雨」 の句があり、 祠があります。 (現在は個人所有地内) 六玉川…野田の玉川 (塩竈市)、 井手の玉川 (京都府)、 野路の玉川 (滋賀県)、 高野の玉川 (和歌山県)、 調布の玉川 (東京都)、 玉川の里 (大阪府:三島の玉川) 材質・形状:石碑 収蔵場所:宮城県塩竈市玉川1-5-20 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Noda Tamagawa monument DESCRIPTION One of six national Tama rivers. Tama river is located on the border of both Shiogama city and Tagajo city. It was well known as a place famed in poetry in ancient times: “Yusareba Shiokaze koshite michinokuno nodano tamagawa chidori nakunari” (Shinkokin, Noin-hoshi). Also, on the back of the monument, there is a phrase by Bunshi Shirasaka, a poet in Shiogama: “Yu sareba Shiokaze koshite michinokuno nodano tamagawa chidori nakunari” The Six Tama rivers: … Continue reading

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祓ヶ崎稲荷神社 Haraigasaki-inari shrine

祓ヶ崎稲荷神社(はらいがさきいなりじんじゃ) 創祀年月は不明ですが、 古くは祓崎の地 (現稲荷下松竹ビル付近) に有り、 伊達藩鹽竈神社参拝の折はこの地において祓い清めた後参拝されたことなどから、 鹽竈神社の祓所としての役割を担っていました。 そのことからこの地を祓崎と言い社号にもなっています。 現社殿は文政3年 (1820年) 7月再建し、 京都の伏見稲荷大社より霊璽を奉遷して正式に稲荷神社となりました。 しかしながら、 明治以降の鉄道建設、 築港などにより3回の御還座と御社殿の移転を余儀なくされ、 平成元年11月に現在の御社殿を改築し竣工しました。 祓崎稲荷神社は、 海岸通・尾島町・港町・中の島各地域の氏神様として、 猿田彦大神・倉稲大神・大宮比賣 (姫) 大神の三神をお祀りしています。 年代:1820年 材質・形状:建物 収蔵場所:宮城県塩竈市尾島町3-12 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Haraigasaki-inari shrine DESCRIPTION The founding year is unknown. In ancient times it was on the land of Haraigasaki (near the Inarishita-shochiku building). People of the domain of Date visit the shrine to exorcise demons and spirits before they visit Shiogama shrine. The shrine was rebuilt in July of Bunsei 3 (1820). The shrine was said to formally seal the spirit from the Housen Fushimi Inari Taisha in Kyoto. However, railway and bay construction has forced the shrine to move … Continue reading

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宝篋印塔 Hokyoin tower

宝篋印塔(ほうきょういんとう) 寛政3年 (1791年)5月法蓮寺が諸性霊供養のため新河岸に宝篋印塔を建立しました。 これに対して、 鹽竈神社は神域であると寺側と対立、 奉行に直訴すると言う事態に発展しました。 結局、 神社側の勝訴となり塔は撤去されました。 現在は東園寺不動明王の境内にあります。 年代:1791年 材質・形状:印塔 収蔵場所:宮城県塩竈市旭町4-1 東園寺 不動明王の境内 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Hokyoin tower DESCRIPTION In May of Kansei 3 (1791), Horen temple built this tower for the repose of various souls. However, Shiogama shrine claimed that the tower was in the holy precincts of the Shinto shrine, and they made a direct appeal to the temple. Eventually the tower has removed and now it’s in the precincts of Toen temple Fudomyo-ou. LOCATION Toenji temple 4-1 Asahicho, Shiogama, Miyagi 日本語|ENG

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焼死の塔 Shoshi tower

焼死の塔(しょうしのとう) 慶応3年(1867年)新河岸から出火し、 本町・仁井町などへ飛火・延焼し塩竈の大部分337戸 (当時480戸) を焼失する大火災となりました。その際の焼死者36人の供養のために百日忌に建てられました。東園寺にあります。 年代:1867年 材質・形状:慰霊碑 収蔵場所:宮城県塩竈市旭町4-1 東園寺 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Shoshi tower DESCRIPTION In Keio 3 (1867), a huge fire broke out in the Shingashi area, and spread to Motomachi and Niimachi. Eventually it burned down much of the Shiogama area including 337 houses (480 houses at the time). This tower was built on the 100th day anniversary for the memorial of the 36 people who perished in the flames. LOCATION Toenji temple 4-1 Asahicho, Shiogama, Miyagi 日本語|ENG

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駒犬城跡 Monument of the ruins of Komainu castle

駒犬城跡(こまいぬじょうあと) 現在、 東園寺境内に所在し、 大部分が墓地となっています。 室町時代(約600年前)に東園寺雷神山上に駒犬城がありました。駒犬城はもと源頼朝の家臣伊沢氏 (留守氏と改める)の城でしたが、後に留守氏の重臣佐藤信高の居城となったので、佐藤舘とも呼ばれたようです。「新撰陸奥風土記」に「鹽竈神社の東南の山に佐藤信高という者の城跡がある」と記されています。元亀元年に廃城となりました。 年代:室町時代 材質・形状:城跡(風景) 収蔵場所:宮城県塩竈市旭町4-1 東園寺 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示 JPN|ENG Monument of the ruins of Komainu castle DESCRIPTION Currently, the monument is located in Toen temple. Much of its area is used as a cemetery now. In the Muromachi period (about 600 years ago) there was a castle called Komainu on top of Toenji-raijin mountain. Komainu castle was originally the property of a Mr. Isawa (later changed to Mr. Rusu), who was a vassal of Yoritomo Minamoto. Later, it became a residential castle of Nobutaka Sato, who was a senior statesman of Mr. Rusu. Thus it is also known as Sato castle. In the … Continue reading

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