詳細分類の一覧

鹽竈百人一首 |建保名所百首(立ちのぼる煙や空にかすむらんみどりもふかき塩がまのうら)

【原文】 立ちのぼる煙や空にかすむらんみどりもふかき塩がまのうら 【現代語訳】 塩焼く煙が空に立ち上り、それで空一帯に霞がかかったように見えるのだろうか。緑が深まっていく塩竈の浦の様子は未だに春霞をかかえたままのようだ。 作者・著者:建保名所百首・範宗朝臣 サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

鹽竈百人一首 |忠度集(しほがまのむかしのあとはあれはててあさぢが原にうづらなくなり)

【原文】 しほがまのむかしのあとはあれはててあさぢが原にうづらなくなり 【現代語訳】 塩釜を模し、豪奢を極めた庭園はすっかり寂れてしまった。浅茅が茂る荒れ地には鶉が、「憂し、辛し」と啼いているようだ。 作者・著者:忠度集(忠度) サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

鹽竈百人一首 |拾玉集(しほがまのうらめしとのみ思ふそらに恋のけぶりもたちそひにける)

【原文】 しほがまのうらめしとのみ思ふそらに恋のけぶりもたちそひにける 【現代語訳】 塩竈の空では塩焼く煙が恨めしいばかりでなく、加えて、恋に我が身を焦がす煙までもが立ち添うことですよ。 作者・著者:拾玉集・能季 サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

鹽竈百人一首 |嘉元百首(春のくるいづくはあれど朝霞けぶりに深きしほがまの浦)

【原文】 春のくるいづくはあれど朝霞けぶりに深きしほがまの浦 【現代語訳】 春の訪れが美しいどの地と比べても、朝霞が深く煙る、塩竈の浦の景色ほど素晴らしいところはありますまい。 作者・著者:嘉元百首・法印定為上 サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

鹽竈百人一首 |夫木和歌抄(松たてるまがきの島の名にぞ聞くかはらぬ色の人のへだては)

【原文】 松たてるまがきの島の名にぞ聞くかはらぬ色の人のへだては 【現代語訳】 恋しい人を待つという、松を籬にした名前を持つ「籬島」に尋ねてみましょう。色変わりしない常緑の松のように、心変わりしないあなたは、今も他人を寄せ付けずに一人の人を待ち続けているのでしょうかと。 作者・著者:夫木和歌抄・経平卿 サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

鹽竈百人一首 |元輔集(塩がまの誰かはひとりありときくしりてももゆる身をいかにせん)

【原文】 塩がまの誰かはひとりありときくしりてももゆる身をいかにせん 【現代語訳】 塩釜に漂う「火取り」(香炉)の煙ではないですが、あなたが独り身だとは誰も聞いておりません。夫ある身とは知りながらも、我が身を焦がすこの想いの火をどうすれば鎮められるのでしょうか。 作者・著者:元輔集(元輔) サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , |

鹽竈百人一首 |新後拾遺集(春の色はわきてそれともなかりけり煙ぞかすむ塩竈の浦)

【原文】 春の色はわきてそれともなかりけり煙ぞかすむ塩竈の浦 【現代語訳】 春の色は特別にどの色という決まりはなかったのですね。塩焼く煙に霞む塩竈の浦の美しさをみていると、それがよくわかります。 作者・著者:新後拾遺集・正三位知家 サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

鹽竈百人一首 |夫木和歌抄(心あらばそではいかにとあまをとへおぼろ月よのしほかまのうら)

【原文】 心あらばそではいかにとあまをとへおぼろ月よのしほかまのうら 【現代語訳】 もし、あなたに風情を解する心があるならば、「涙で袖を濡らしていませんか」と海人を訪いなさい。朧月夜の美しい塩竈の浦で塩を焼いて風情を損なう、我が身のつたなさを嘆いていることでしょうから。 作者・著者:夫木和歌抄・大蔵卿有家卿 サイズ:270 x 540mm 材質・形状:石碑 所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |

『塩釜甚句』

【原文】 塩 釜 甚 句 (しおがまじんく) 塩釜 ハットセ  街道に 白菊植えて ハットセ 何を聞く聞く アリヤ 便り聞く ハ ハ ハットセ 塩釜出る時や 大手振りよ 総社の宮から 胸勘定 千賀の浦風 身にしみじみと 語り合う夜の 友千鳥 さあさ やっこらさと 乗り出す船は 命帆にかけ 浪枕 末の松山 末かけまくも 神のはじめし 海の幸 【解説】 甚句というのは、七、七、七、五の四句からなり、踊りを伴うものが多くあります。 塩釜甚句は、別名「仙台ハットセ」または「ハットセ」といわれますが、やはり歌われるときは、芸妓(げいぎ)などにより威勢のいい振り付けの踊りが演じられ、ハットセという賑やかな掛声が踊りの間拍子(まびょうし)に入ります。 その由来は、四代藩主綱村(はんしゅつなむら)が元禄(げんろく)8年(1695年)に、鹽竈神社造替に着手し、宝永(ほうえい)元年(1704年)に落成を祝って、文人粋(すい)客らに歌謡を作らせ、これに当時海岸地方で流行していた「アイヤ節」の歌曲を変曲して、塩竈の芸妓に謡(うた)わしめたことに始まるといわれています。 塩釜甚句の歌曲のもとになったという「アイヤ節」は、九州天草地方で歌われていた「ハイヤ節」が、日本海を北上し津軽で「アイヤ節」となり、太平洋沿岸に移入されたもので、石巻では、明治の中頃まで「塩釜甚句」をアイヤ節と呼んでいました。 また「ハットセ」のかけ声は、陸中(岩手)の宮古、山田・釜石の漁港で歌われた「ハットサササ」が転訛(てんか)したものだといわれています。 塩釜甚句の歌詞には、仙臺海道(塩竈街道)を塩竈に向かう旦那衆の遊女に恋い焦がれる心情や、三味線、太鼓の音で賑っていた塩竈の様子伺うことができます。 材質・形状:文学作品 収蔵場所(石碑):宮城県塩竈市西町(鹽竈海道) 閲覧可 地図 より大きな地図で 「文化の港 シオーモ」 を表示

文学館 | , , |