【原文】
塩がまの誰かはひとりありときくしりてももゆる身をいかにせん
【現代語訳】
塩釜に漂う「火取り」(香炉)の煙ではないですが、あなたが独り身だとは誰も聞いておりません。夫ある身とは知りながらも、我が身を焦がすこの想いの火をどうすれば鎮められるのでしょうか。
サイズ:270 x 540mm
材質・形状:石碑
所在地:宮城県塩竈市西町(鹽竈海道)
閲覧可
地図
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塩がまの誰かはひとりありときくしりてももゆる身をいかにせん
塩釜に漂う「火取り」(香炉)の煙ではないですが、あなたが独り身だとは誰も聞いておりません。夫ある身とは知りながらも、我が身を焦がすこの想いの火をどうすれば鎮められるのでしょうか。
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春の色はわきてそれともなかりけり煙ぞかすむ塩竈の浦
春の色は特別にどの色という決まりはなかったのですね。塩焼く煙に霞む塩竈の浦の美しさをみていると、それがよくわかります。
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心あらばそではいかにとあまをとへおぼろ月よのしほかまのうら
もし、あなたに風情を解する心があるならば、「涙で袖を濡らしていませんか」と海人を訪いなさい。朧月夜の美しい塩竈の浦で塩を焼いて風情を損なう、我が身のつたなさを嘆いていることでしょうから。
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塩竈市指定文化財
本書は縦15㎝、 横38㎝の横とじで7枚より構成されている江戸時代中期の古文書です。 「御蔵入」 とは米以外の租税をさすもので、 この書により、 江戸中期の藩政下にあった塩竈村における米以外の租税の様子を察することができます。 7枚から構成されている表紙から推測するに3冊のうちの1冊で、 残りの2冊はすでに消滅したものと思われます。 昭和62年2月1日指定
JPN|ENG
This ancient document was written in the middle of the Edo period and is composed of 7 pages. It is 15cm long and 38cm wide and opens sideways. Okurairi means taxes for items excluding rice. The document indicates taxes on things other than rice in Shiogama village, which was controlled by the feudal domain. According to the cover page, the document is one of a series of three. Two have already been lost.
Designated on February 1, 62nd year of Showa (1987)
日本語|ENG
・第5回-ブックレット.pdf(21.8MB)
・第6回-ブックレット.pdf(18.3MB)
・第7回-ブックレット.pdf(5.2MB)
佐浦酒造は、江戸時代末期の享保9年に鹽竈神社の御神酒酒屋として創業されました。佐浦酒造の事務所棟玄関には、法蓮寺由来とされる向拝が使われています。法蓮寺廃寺の際、この向拝を南宮(多賀城市)の慈雲寺が譲り受け、同寺の本堂玄関として移築したとされます。平成18年に慈雲寺本堂を建て替えることになり、向拝も解体・廃棄されることになりましたが、NPOみなとしほがまをはじめとする関係者の尽力により部材が保存され、平成20年に佐浦酒造事務所棟の玄関として移築復元されました。この向拝は、現存する勝画楼玄関より様式的に古く、格式も上であるとされます。この向拝を法蓮寺客殿南側に付いていた「御成玄関」と考えることも可能ですが、「奥州名所図絵」には唐門風の玄関が描かれており、今後の調査研究が待たれます。
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江戸時代の廻船問屋だった建物を大正3年に組み立てた建物。平成5年に塩竈市文化景観賞を受賞。
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JPN|ENG
日本語|ENG
「千賀の浦-八島」 の名島の一つである竜頭島は、 白い岩肌が美しい小さな島であり、 蛇の頭にも見えることから 「蛇島」 とも呼ばれています。
周辺の漁港整備での護岸や埋立工事が進み、 取り崩す計画でしたが、 市民からの要望で保存されました。
八島:尾嶋、 籬島、 内裡島、 みつく島、 蟇島、 奸島、 裸島、 蛇島
JPN|ENG
It is a small island with beautiful white rocks. It’s also called Hebi (snake) island as it looks like the shape of a snake’s head. As the reclamation and embankments around the fishing port developed, the island was due to be destroyed. However, by request of the citizens, it was preserved, and still remains as one of the islands of “Chiganoura – Yashima”
Yashima: Ojima island, Magaki isaland, Ryuto island, Mitsuku shima, Hiki island, Kan island, Hadaka island, Jya island
3-chome, Shinhamachō, Shiogama, Miyagi
日本語|ENG
島内には、 5所の海浜に貝塚が存在します。 いずれも製塩遺構を伴い、 カキを主体とした貝層があり、 A貝塚は貴重で縄文末から平安時代まで連綿と製塩が続いた形跡がわかります。
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JPN|ENG
There are shell mounds at 5 beaches in the island. All of the mounds provide ancient information about the salt making process. They’re made of layers of shells, predominantly oyster shell. These shell mounds are very valuable for researching the history of the salt making as it continued from the Jomon to Heian periods.
Around Niihama town 3-chome
日本語|ENG
創祀年月は不明ですが、 京都府下梅津の梅宮神社から吉津の伊保石に勧請したのが始まりです。 江戸時代の文化5年2月には、 野火の災厄にあい焼失したので、 現在の地に同年5月10日、 御迂宮を行い鹽竈神社の末社にもなりました。 現在の社殿は、 明治3年4月に炎上し、 再建しましたが狭少のため、 昭和3年11月の御大典記念事業として改築しています。 農耕と産業守護、 安産と海上と酒造守護の神として広く知られています。
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The foundation year is unknown but it was originally transferred to Iboishi in Yoshizu from Umenomiya shrine in Kyoto. In February, Bunnka 5 (1808) in the Edo period, a wildfire burned down the shrine. In the same year on May 10th, it became a subordinate shrine of Shiogama shrine. The current main building was burned down in April, and it was reconstructed in Meiji 3 (1870). However, it was too small and narrow, and was rebuilt again as Godaiten Memorial Project (御大典記念事業) in November of Showa 3 (1928). It’s a guardian for agriculture and industry, widely known as the God of the sea and sake brewing.
Umenomiya- 15, Shiogama, Miyagi
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